桑田真澄の年収はいくら?現在の仕事や年収推移まとめ

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甲子園通算20勝の戦後最多記録を保持、プロ入り後も大活躍し野球界を沸かせた桑田真澄さん。

そんな桑田真澄さんの年収はいくらなのか気になりますね!

現役時代から現在の年収、収入源についても詳しく調べてみました!

こちらの記事では「桑田真澄の年収はいくら?現在の仕事や年収推移まとめ」と題してまとめていきます。

こちらの記事でわかること
  • 桑田真澄の年収はいくら?
  • 桑田真澄の現在の仕事と収入源は?
  • 桑田真澄の年収推移は?
  • 桑田真澄のプロフィールと経歴
目次

桑田真澄の年収はいくら?

桑田真澄さんの年収は約1億700万円程と思われます。

2025年現在の桑田真澄さんの年収は約1億700万円程と思われます。

桑田真澄さんは1985年に読売ジャイアンツに入団し、2008年3月に現役引退を発表しました。

引退から17年経った2025年現在の仕事と収入源を取り上げて、桑田真澄さんの年収について詳しくみてみましょう!

桑田真澄の現在の仕事と収入源は?

桑田真澄さんの現在の仕事且つ収入源は下記の3つと思われます。

桑田真澄|2025年仕事・収入源
  • 読売ジャイアンツ二軍監督
  • テレビ出演
  • 特任研究員

桑田真澄さんは、現役引退後は野球評論家として活躍しスポーツ科学研究活動にも力を入れ、2010年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を終了しました。

そして、2025年1月現在は読売ジャイアンツ二軍監督・テレビ出演・東京大学大学院総合文化研究科の特任研究員で活躍されており以上3つが主な収入源となっていると考えられます。

3つの収入源について細かく調べてみました。

仕事・収入源①読売ジャイアンツ二軍監督

桑田真澄さんの読売ジャイアンツ二軍監督での収入は年間約1億円程と推定します!

2023年10月に桑田真澄さんの読売ジャイアンツ二軍監督への就任決定が公表されました。

プロ野球の監督の収入を調べてみると、監督の年俸は1億円前後が相場とのことです。

メジャーでは監督の年俸は1億円前後が相場。選手の平均年俸は8億円弱である。

引用元:スポニチ

桑田真澄さんは二軍の監督ですが、今までの経歴があるため読売ジャイアンツ二軍監督での収入は1年間で約1億円と推定しました。

仕事・収入源②テレビ出演

桑田真澄さんのテレビ出演での収入は年間約200万円程と推定します!

桑田真澄さんは2024年は1年間で下記4番組に出演しました。

桑田真澄|2024年テレビ出演
  • 日テレポシュレ 11/1放送
  • サタデーモーニング 12/1放送
  • ぽかぽか 12/17放送
  • 明石家さんまのご長寿グランプリ2024 12/27放送

上記テレビ番組に計4回のテレビ出演をされています。

調べてみると、テレビ出演でのギャラはゴールデンタイムの出演で俳優は300万円〜100万円が相場とのことです。

またCM以外のTV出演では、ゴールデンタイムと言われる19時~22時の間のテレビ出演した際のギャラを例に説明します。

女優さんは、1時間につき約200万~50万、俳優さんは、300万~100万前後、もちろん認知度があり人気の芸能人であればあるほど、1時間あたりのギャラは高くなります。有名女性タレントでは、100万~30万、有名男性タレントでは150万~50万と、俳優陣よりかは少々減り、共通しているのが、女性陣より男性陣の方が、ギャラ設定が少し高いという傾向が見られます。

引用元:YOU MAY Casthing

4番組のうち3番組はゴールデンタイム以外の放送時間のため、大スターの桑田真澄さんですが1番組のギャラは70万円と低めに見積もり計算すると280万円となりました。

桑田真澄さんは個人事務所ですので、運営費等の差引等があったとして桑田真澄さんのテレビ出演での収入は1年間で約200万円程と推定しました。

仕事・収入源③特任研究員

桑田真澄さんの特任研究員での収入は年間約500万円程と推定します!

桑田真澄さんは東京大学大学院総合文化研究科にて特任研究員も務めています。

特任研究員の年収について調べてみましたがはっきりとした情報を見つけることができませんでした。

様々なネット情報をもとにここでは、桑田真澄さんが特任研究員で得ている年収は500万円と推定します。

上記3つの金額を合わせると、2025年現在の桑田真澄さんの年収は約1億700万円程と推定することができました。

桑田真澄の年収推移は?

桑田真澄さんの現役時代から引退までの年収推移をまとめてみました!

桑田真澄 年収推移(入団〜引退)
年収エピソード
1985年
(18歳)
6500万円契約金6500万円、年俸480万円で読売ジャイアンツに入団が決まりました。
1986年
(19歳)
480万円5/25中日ドラゴンズでプロ初登板を果たします。
6/5阪神タイガーズ戦で初完投で初勝利を飾りました。
1987年
(20歳)
660万円7/8広島カープ戦で3点本塁打と適時打で4点を獲得、さらにプロ初完封勝利を挙げました。
1988年
(21歳)
2160万円球団史上最年少で開幕投手に選抜されました。
1989年
(22歳)
2900万円2年連続で開幕投手を飾ります。投手として大活躍を見せチームを日本一に導きました。
1990年
(23歳)
5200万円金品授受のスキャンダルが報じられ、1ヶ月の謹慎、罰金1000万円の処分を受けることとなりました。
1991年
(24歳)
7600万円キャビンアテンダントをしていた真紀さんとの結婚を発表されました。
1992年
(25歳)
9840万円不調により「連勝ストッパー」と名付けられてしまいます。
8月に長男が誕生します。
1993年
(26歳)
8880万円前年に引き続き不調が続きました。
1994年
(27歳)
8300万円7月に次男Mattさんが誕生します。
1995年
(28歳)
1億4300万円5月に右肘を負傷し、側副靭帯断裂と診断を受け渡米し手術を受けました。
1996年
(29歳)
1億2000万円手術を受けたため、1996年は選手としての活躍は報じられていません。
1997年
(30歳)
1億円4/6東京ドームヤクルト戦にて怪我から復帰されました。
1998年
(31歳)
1億6000万円9年ぶりに開幕投手を務め上げ、この年は7完投を記録しました。
1999年
(32歳)
2億1000万円開幕投手を務める予定でしたが、風邪のため降板しました。
この年は高調子の報道は見つかりませんでした。
2000年
(33歳)
2億4000万円開幕ローテーションに加わりましたが、不振で6月に先発から外されてしまいます。
残りのシーズンはリリーフ登板となりました。
2001年
(34歳)
2億円開幕ローテーション入りをしましたが、この年は不調続きとなりました。
2002年
(35歳)
1億9000万円規定投球回の到達シーズンでは最高を記録します。
2003年
(36歳)
3億4000万円足首を捻挫してしまい、思うような活躍が出来ませんでした。
2004年
(37歳)
3億500万円堀内恒夫さんが監督に就任し「俺は晩節を汚さなかった」と引退勧告とも取れる発言を受けてしまいます。
2005年
(38歳)
2億1200万円負け続きとなってしまいますが現役続行が決まりました。
2006年
(39歳)
    1億5000万円    4月に600日ぶりの勝利を挙げました。
足を捻挫して試合に出ることができなくなってしまいこの年でジャイアンツを退団しました。
2007年
(40歳)
3800万円ピックバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶが、3月に右足の靱帯を断裂してしまい8月に退団が発表されます。
2008年
(41歳)
1000万円再度ピックバーグ・パイレーツとのマイナー契約が成立するも3月に引退の意思をブログで明らかにし帰国されました。

以上が桑田真澄さんの現役から引退までの年収推移です。

ピーク時は3億超えの年収とは、さすが桑田真澄さんですね!

怪我をしてしまった大変な時もありましたが、たくさんの好成績を残しファンを盛り上げプロ野球選手として輝き続けた素晴らしい選手ですね!

しかし、こちらの年収の表は正式に公表されたものではなくネット情報をもとにした推定の金額です。

桑田真澄のプロフィールと経歴

桑田真澄さんのプロフィールをみてみましょう!

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桑田真澄|プロフィール
  • 名前:桑田真澄(くわた ますみ)
  • 生年月日:1968年4月1日(2025年現在56歳)
  • 出身地:大阪府八尾市
  • 出身校:PL学園高等学校
  • 選手情報:投手・右投右打
  • 配偶者:桑田真紀
  • 子供:桑田真樹(長男)Matt(次男)

桑田真澄さんの趣味はワイン作りと米作りとのことです!

2010年からワインはニュージーランドのマタカナで、お米は福岡県の豊前市で手作りされているそうです。

桑田真澄さんは「野球も農業と同じで、コツを覚えると飛躍的に上手になる。だから若い選手が、気づきを得るためのきっかけづくりが大切」と語られています。

「野球も農業と同じで、コツを覚えると飛躍的に上手くなる。だから若い選手が、気づきを得るためのきっかけ作りが大切だと思っています」。2年連続Bクラスからの立て直しには若手の成長が欠かせない。桑田2軍監督は自らに言い聞かせるように語った。

引用元:Full–Count

趣味でも野球のこと、育てている選手のことを考えて取り組まれていて監督としての使命を常に真っ当されている素敵な方ですね!

続いて、桑田真澄さんの経歴を紹介します!

小学2年生の時に町内会のソフトボールチームに所属し、3年生で軟式野球を始めました。

中学校は八尾市立大正中学校へ進学し野球部に所属して、入学直後にレギュラーを獲得したそうです。

中学生時代も選手として大活躍しましたが、学校側と進路について揉めたことをきっかけに3年生3学期に八尾市立成法中学校へ転校し中学校を卒業しました。

その後PL学園高等学校へ進学し甲子園5季連続出場・通算20勝・2回優勝・2回準優勝の記録を残し、清原和博さんと「KKコンビ」と呼ばれ有名になりました。

1985年には、ドラフト1位で読売ジャイアンツへの入団が決定し1987年、2年目にして沢村賞を受賞するほどの活躍を見せます。

1994年に桑田真澄さんの大活躍で読売ジャイアンツを優勝へ導き、最多奪三振王となりシーズンMVPを獲得しました。

1995年に試合中に右肘靱帯断裂の怪我を負い、トミー・ジョン手術を受け長期のリハビリと療養を強いられることとなりました。

1997年、1年半のリハビリと療養を終え投手として復帰を果たします。

2000年には開幕ローテーション入りを果たしますが不振のため6月より先発から外れ残りのシーズンはリリーフ降板となります。

2001年も不調が続きますが、2002年に原辰徳さんが読売ジャイアンツの監督に就任し、引退を考えていた桑田真澄さんに声をかけ現役続行が決定しました。

しかし、2003年に足を捻挫し思うような活躍ができず2004年に読売ジャイアンツの監督に就任した堀内恒夫さんから引退勧告と思われる発言を受けてしまいます。

2005年は勝てない試合が続きますが、現役続行し2006年4月に600日ぶりの勝利を挙げるもその試合中に右足首を捻挫してしまいます。

しばらく二軍にて調整を続けましたが同年11月に読売ジャイアンツを退団されました。

その後2007年にピッツバーグ・パイレーツとのマイナー契約が成立しますが、3月の試合中に右足首の靱帯を損傷し療養を余儀なくされてしまいます。

同年8月には戦力外通告を受け退団しました。

しかし、2008年1月に再度ピッツバーグ・パイレーツとのマイナー契約が成立するも若手の起用が多く、メジャー昇格が厳しい状況となり3月に引退を決意されます。

桑田真澄さんは帰国し、2008年9月に茨城ゴールデンゴールズ主催の引退試合を行い、正式な現役引退となりました。

まとめ

こちらの記事では「桑田真澄の年収はいくら?現在の仕事や年収推移まとめ」と題してまとめてきました。

桑田真澄さんの現在の主な収入源は、読売ジャイアンツ二軍監督・テレビ出演・特任研究員で年収は約1億700万円程と推定しました。

現役時代の年収はピーク時で3億4000万円程と思われます。

高校生時代から選手として数々の活躍で世間を驚かせ、現在も二軍監督として野球界に貢献されている桑田真澄さんは本当に素晴らしい野球選手そして監督ですね!

今後の桑田真澄さんの活躍にも期待です!

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